田んblog

脳とブログが直結している

僕が眠ると皆働かない

田んぼ君 これやって

田んぼ君 これ聞いてない?

田んぼ君 これ分かる?

 

入社一年のうちに何度も聞いたフレーズである

会社は5分でやれることに3時間くらいかけろとよくネットで耳にするが

まさしくその通りだった。

仕事と責任の押し付け合い。

会社では医薬品を作っているが薬は法律が厳しいので

役所のお役人はあれこれ記録を取れと難癖をつけてくる。

この言葉の意味はなんですか?とか単語の一つまで疑ってくるのだ。

右も左もわからない俺に普段の製造で使うための記録書をいつも作らせる。

お前らそれでいいのかよ。

わからない奴に作らせても結局またどこかに不備がでるだけなのだが。

そもそも正式な部署も上司も決まってない以上フリーランスの人間のような状態である。

ただの雑用係ともいう。

若いからということで半分システム保守のようなこともさせられているし勘弁してほしい。

 

一番いけないのはバカまじめに働いてしまっている自分自身なのだが

 

 

俺とお前と大体五郎

※焼酎は特に関係ありません*1

 

人付き合いが苦手です。

コミュニティが大きければ大きいほど

どこか自己が希薄になる感覚に陥る。

自分がかかわっていることは何でも知りたくなる性質なので

それが原因なのかなあ。

 

からして身勝手だし自分もこんなことを書いているから相当身勝手なのだが

視野や配慮の狭い発言をする人と接するのがどうにも苦痛でしょうがない。

会社や大学のよう分母が大きくなるとそういう粗暴な人間の絶対数も増える。

そうなるとそのコミュニティそのものの価値が自分の中でどんどん下がるので

ストレスが溜まっていく。

まともな人にはストレスは溜まらないが

ストレスフリーはストレスの軽減になるわけでも満足感が得られるわけでもないので

負債のみが積もって釣り合いが取れないのである。

コミュニティに属する=ロールプレイだと思っているので

ロールプレイできない人間はゴミだということです。*2

*1:俺とお前と大五郎

*2:役割が果たせませんぞwww

健康でも文化的でも最低限度でもない生活

全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。

憲法*1にもそう書いてある。 

前回から引き続き憲法をネタに出しているが、俺が右翼だからというわけではなく

ただ日本語以外の言語を覚える気がない=海外で住む気がないだけである。

 

憲法ってのは言葉定義されてはいるけど柔軟性を持たせるために具体的な

数値や方法を記載はされてない。

健康とはなにか。

文化的とはなにか。

最低限度とは如何ほどか。

法律単位ならまだしも個人単位の話になると感覚的な話になってしまうので

定義を満たせる状態は一生来ないか満たされてもすぐ慣れてしまう。

 

毎日サプリや薬を飲んで、仕事で疲れて惰性でゲームをしている時点で

健康でも文化的でもない生活をしています。

衣食住はあるから最低限度は越えてるんだろうな。

すぐ定義がなんだとか、どういう意味なのかとか考えてしまう悪い癖が俺にはある。

考えてもしょうがないのにね。

うーん もっと頭を空っぽにして生きたい。

思想良心の自由

思想良心の自由*1 とは

人の精神の自由について保証する自由権

人間の尊厳を支える基本的条件であり、民主主義の前提である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

頭の固い人間なんで憲法の言ってることを基本的に鵜呑みにしています。

前文を暗唱できたり6法全書携帯とかはしてないですけど。

学校教育で習った程度でよく考えるのは

思想良心の自由と公共の福祉が重要だなと。

 

思想良心の自由は冒頭に書いた通りですが

重要なのは「内心に保持する限り絶対保障」ってとこですね。

要は他人に何らかの形で意思表示しない限りは

腹が減ったとかむかつく上司をぶん殴りたいとか疲れたから電車に飛び込みたいとか

何を思ってもいいってことですね。

周りに表示した場合は表現の自由とかあるわけですが

それは公共の福祉*2によって制限されるわけですね。

 公共の福祉は要は周りのことを考えない言動は保証されんぞということです。

人権が肥大化するのを抑制するためのものですね

お前の考えは黙ってれば絶対否定されんが外に出すなら周りのこと考えろよ、という

まあまあ当たり前のことです。

 

何が言いたいかというとこの記事の内容も含めて

どんだけ正しそうに見えることを言っても他人に強制もできなければ

他人が言説を見てどう思うかも不明ってことですね。

技術の発達で出版社で本なんか出さなくとも人の言動なんていくらでも発信することが可能です。

僕の主な生息場所はツイッターですが毎日誰かしらの悟りのお言葉だったり

みんなこうして生きようよみたいなツイートが流れてきます。

言って終わりなら別にいいんですけどたまーに

「みんなこういうことができなきゃダメだ!できない奴はおかしい!」

みたいに少し過激な奴が現れます。

正義感の塊なのかちょっと危ない人なのかはわかりませんが

演説するだけで規範意識が向上するなら警察で稼ぐ点数がなくなってしまいます。

警察の方のためにもモラルのないやつはモラルのない行動をしてもらいましょう。

人も思想も外に出たら丸裸で平等にさらされる。

公共の福祉で最低限守られるとしても、保証されるのは内にいるときだけなのです。

 

今日も今日とて自己言及のパラドックスに陥っていく

*1:憲法第19条

*2:日本国憲法第12、13、22、29条

千里の道も千里から

学生の時はぐうたら勉強してぐうたら生きてた

人生何とかなるだろうと思ってたけどなりませんでしたとさ

なんか20くらいまでは先のことなぞ見えなくてもとくに何も感じなかったけど

もうここ数年は来週のことがわからないだけでもすごい恐怖

仕事 人付き合い お金 恋愛 介護 etc...

最終的に人は死ぬわけだが

短期的な充足感を渇望してしまう

ストレスがストレスを生むスパイラル

 

結局学生の頃は親の庇護というものが俺のすべてだったのだろう

自活するにはいろんなものの責任を負っていく

8割くらいは金のためかな

こういう感情になると「ぼくらの」*1を読みたくなる

思考は人間の最高の贅沢だとか

大人は生きるために頭を使うという点で動物と変わらないとか

読んで答えを提示してくれるものじゃないけど分かった気分になれる