思想良心の自由
思想良心の自由*1 とは
人の精神の自由について保証する自由権。
人間の尊厳を支える基本的条件であり、民主主義の前提である。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
頭の固い人間なんで憲法の言ってることを基本的に鵜呑みにしています。
前文を暗唱できたり6法全書携帯とかはしてないですけど。
学校教育で習った程度でよく考えるのは
思想良心の自由と公共の福祉が重要だなと。
思想良心の自由は冒頭に書いた通りですが
重要なのは「内心に保持する限り絶対保障」ってとこですね。
要は他人に何らかの形で意思表示しない限りは
腹が減ったとかむかつく上司をぶん殴りたいとか疲れたから電車に飛び込みたいとか
何を思ってもいいってことですね。
周りに表示した場合は表現の自由とかあるわけですが
それは公共の福祉*2によって制限されるわけですね。
公共の福祉は要は周りのことを考えない言動は保証されんぞということです。
人権が肥大化するのを抑制するためのものですね
お前の考えは黙ってれば絶対否定されんが外に出すなら周りのこと考えろよ、という
まあまあ当たり前のことです。
何が言いたいかというとこの記事の内容も含めて
どんだけ正しそうに見えることを言っても他人に強制もできなければ
他人が言説を見てどう思うかも不明ってことですね。
技術の発達で出版社で本なんか出さなくとも人の言動なんていくらでも発信することが可能です。
僕の主な生息場所はツイッターですが毎日誰かしらの悟りのお言葉だったり
みんなこうして生きようよみたいなツイートが流れてきます。
言って終わりなら別にいいんですけどたまーに
「みんなこういうことができなきゃダメだ!できない奴はおかしい!」
みたいに少し過激な奴が現れます。
正義感の塊なのかちょっと危ない人なのかはわかりませんが
演説するだけで規範意識が向上するなら警察で稼ぐ点数がなくなってしまいます。
警察の方のためにもモラルのないやつはモラルのない行動をしてもらいましょう。
人も思想も外に出たら丸裸で平等にさらされる。
公共の福祉で最低限守られるとしても、保証されるのは内にいるときだけなのです。
今日も今日とて自己言及のパラドックスに陥っていく