田んblog

脳とブログが直結している

ルイーダの酒場

人生の主人公は自分だ

 

外に出れば否応なしに自分以外の人を見かける。

自分の移動手段は電車をよく利用する。

学生の頃は毎朝すし詰めの車内に詰め込まれて登校していた。

公共の機関なのでありとあらゆる人が駅のホームに集う。

学生 社会人 老人 子供 夫婦 健常者 障碍者 ヤンキー オタク

本当にありふれた言葉だけどその人にはその人の人生があって

たまたま自分と同じ時間に駅のホームや電車に乗っていたりする。

俺の人生の主人公は俺なので

周りがどんな人生を歩んでいようが俺にとってはNPCである。

知障が喚いていれば鬱陶しいし

ガラの悪そうなやつは消えて欲しいと思う。

恐らく自分も何割かのNPCにそう思われているだろう。

 

月は観測しなければ存在しない。

NPCも観測しなけばそんざいしない。

もったいない

100パーセントも0パーセントもない

 

一応旧帝を入学し卒業した人間なんですが就職には失敗し

ゴミと同義の生活をかれこれ通算で3年はしています。

1年と少しは正社員として最低限の体裁は保っていたんですが

理性ではなく感情で行動する性格なので我慢できずに無職に戻りました。

今は雇用保険受けながら職業訓練で簿記を勉強していますが

就職活動をすると相談員やら面接官は決まって

もったいない

と言ってきます。

 

もったいない とは

・物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している

・有用なのにそのままにしておいたり、むだにしてしまったりするのが惜しい

のような意味だそうで。

ようは宮廷卒業しているような人間が何故底辺の位置にいるの?

と彼らは言っているわけですね。

食べ物を残すだとか、まだ使えるものを捨てるだとか

物質的な行為と人の人生を同じようなとらえ方をしないでくれ。

旧帝出てたら皆が一流企業や国家公務員になれると思うな。

まるで自分から肩書を捨てて生きようとしていると思うな。

常に最適解を選べる人生なんてあるはずない。

ただただ腹が立つ。

 

勿論現状も将来も負け犬である人間が言った所で便所の落書き以下の発言である。

相手も意識的にも無意識的にもそう思っている。

力なきものに価値はない。

力を得ようと思わない自分に価値はない。

ドラクエの映画を観てきました

昨日「ドラゴンクエスト ユアストーリー」を観てきました。

天気の子に続いて怒り狂って観終わってからツイッター

30分くらい延々呪詛を吐いていました。

公開二日でツイッターやいろんなブログで非難轟轟なので

おそらく観たドラクエファンはほぼ全員同じ感想でしょう。

よりによってファンの多い5ですからね。

これが3だったらまだここまでひどいことにはなってなかったと思います*1

3は主人公以外は酒場で自由にキャラメイクできるからかなり自由に話作れますし。

一応先に擁護できる点を述べておくと

 

・3DCGの作りこみや動きは綺麗

主人公以外のキャラの造形や戦闘の動きは良かったと思います。

特にビアンカは鳥山イラストよりも好みでした。*2

主人公のキャラデザもうちょっとなんとかならんかったんかって思ってたんですけど

最後の方で一応合点はつきました。 許されないけど。

 

・他シリーズも含めたゲームBGM

5だけでなくほかのシリーズのBGMが聞けたのは少しうれしかったです。

自分は天空シリーズ(特に6)が好きなので「木洩れ日の中で」とか聞けたのは

嬉しかったです。 でもこんなクソ映画で流れて欲しくはなかった。

あと序曲のマーチ使い過ぎなのもちょっと萎えました。

監督がDQやったことなからOPED以外で使っちゃいけないことしらなかったんでしょう。

 

要は演出と曲はまだ良かったってことです。

演出はまだしも曲が悪いはずないんですけど。

 

とにかくドラクエファンほど見て欲しくない映画でした。

ドラクエ知らない人、というよりは「ドラクエ」ではなくオリジナルで作ってれば

別に炎上することもなくせいぜい賛否両論な映画だなー程度であったと思います。

ドラクエってのは王道RPGなので制作もひたすら王道正道で作ればいいんですよ。

王道が好きな人がファンになってるんですから。

だからわざわざドラクエを、しかも5を映画化するんだったら

映像化に合わせた簡単な改変する程度に留めて

幼少編、青年編前編、青年編後編の三部作で作れば良かった。

名前も小説版から持ってきたうえ著者に訴えられる始末だし

制作に周りへのリスペクトが感じられない映画でした。

(でもすぎやんだかほーりいが関わってるみたいなんだよなあ…)

どうしてこうなった

*1:それでも非難は免れなかったと思うけど

*2:鳥山絵はブルマにしか見えん

狂気と凶器

狂気と凶器はワンセット。

 

産業革命以後「人間」の世界には「道具」が作られ

「狂人」の世界には「凶器」が出来上がっていった。

人間の世界は狂気に脅かされ続ける。

小さな狂気も大きな狂気もいつだって理不尽だ。

 

正常な人間と狂人がいるのではなく

狂気を出さない人間と凶器を出す人間がいる。

「凶器」を胸に秘めて生き続ける。

「天気の子」を観てきました

天気の子を観てきました。

新海作品は「君の名は。」が初めてだったのですが

それはどうも本来の新海らしさはあまりなかったようなので

新海らしさが出てるという評判がある本作を見に行くことにしました。

結論から言うと

DQNカップルが行くお涙頂戴サクセスストーリー」

だったなって感想です。

散々君の名は本来の新海じゃない!って意見を見てたので

君の名はを期待して落胆したわけじゃないってことだけははっきり申し上げておきます。

以下適当に感想を述べていきますがネタバレっぽいことも多分に含まれるので

知りたくない方はブラウザバックで。

映画視聴後だけど下の記事は読みました。

「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟 - Yahoo!ニュース

 

 

 

 

 

 

 

 

作中のリアリティについて

まず初めにこれを論じておきたい。

序盤からちょくちょく性的関係の描写を入れてくる。*1

僕はほどよい田舎で育ったので首都圏の実情は知りませんが

人間の三大欲求は一番人にリアリティを訴求する力がある(と思ってる)ので

雨が降り続いてる以外は我々が住んでいるのと変わらない世界だという主張になります。

要は一般的な価値観や生活の仕方は作中でも一緒だよっていう前提になります。

客が店の床を濡らせば店員は嫌がるし、女性に性的接待をする店もある。

そして雨が降り続けるよりは晴れて太陽が見える方が嬉しい。

大衆の感情や都市のシステムに対する共感性、リアリティを与える描写があります。

そして作中におけるリアリティの一つに「警察」が出てきます。

 

これに対して主人公カップルについては共感性を与える描写に乏しい。

ファンタジーなんだからそりゃそうだろ、っていうのはごもっともなんですけど

ファンタジー要素とリアリティ要素が対立してないのが個人的に問題なんですよね。

皆から理解されない力を使って、それを危ぶんで警察やら公的機関が

主人公たちを拘束しようとする、っていうのがよくある

ファンタジー×リアリティの対立構造だと思うんですけど

この映画は主人公の穂高君がまぎれもなく犯罪者なんですよね。家出抜きにしても。

なので途中から「ちょっとでも離れたくない未成年カップル」と「犯罪者を捜索する警察」

の構図になります。(リアリティ×リアリティ)

対立構造にファンタジー要素が絡んでないくせにリアリティだけは全面に押し出してくる。

そのため、穂高君に感情移入しにくいこともあって晴れ女だとか恋愛要素とかよりも

ひたすらリアリティに追い掛け回されながら映画を観ることになりました。

 

穂高君について

インタビューでも合わないやつにはトコトン合わねーぞっておっしゃってますけど

まさしくその通りでした。

穂高君については意図的に描写を省いているということなので

そもそも感情移入させるキャラクターとして描いていないでしょう。

後半ではお前らは誰もわかってない!って叫んでるので

視聴者は穂高・天野カップルではなく一般市民、警察側の立ち位置に置くようにしている。

故郷については最後でちらっと説明されましたが

家出理由の具体的説明はなかったので穂高君を慮れと言うほうが無理です。

感情移入できないことは意図してることなのでそれは良いとして

上記したリアリティの描写により、彼は無知で無謀な少年だなという印象になりました。

感情移入対象にさせず、無知無謀さが押し出されると彼が作中で行っていた

銃刀法違反、公務執行妨害、線路立ち入りなどの犯罪行為が際立ってきます。

ただでさえこっちには家出理由もわからないDQNなのに

字面だけ見なくてもDQN通り越してただの犯罪者です。

(視聴者は神の視点だからとは言っても気にしすぎなんですかね?)

穂高君だけならまだしも最後には彼の逃走劇に関わった人も協力しちゃうから

主要人物軒並み前科持ちになっちゃうという顛末。

ここまで感動やカタルシスを得られない逃走劇は初めてかもしれません。

初犯だから保護観察処分で済んでいるのもなんだかなあ、という気分です。

ここら辺が理由で穂高君は

「昔やんちゃしたDQNだけど今は更生した真人間です」という印象で

両さんに説教されているような人間にしか見えないのです。

 

陽菜ちゃん(+凪君)について

彼女も情報が制限されている上にファンタジー側の人間なので感情移入しにくいです。

親が亡くなった時点で弟と一緒にどこかの施設に入れられると思うのですが…。

戸籍上や名義だけでも父親は存命している、のかなあ。

序盤からの性的な描写や途中で巫女という単語がでてきたことから

穂高君と交わって汚されれば巫女の役目が解ける的な展開になると思ってました。

弟の凪君については姉や穂高君に都合がよすぎて舞台装置な印象でした。

まあ小学生だし好きな身内に付いていくのが普通なんでしょう。

あやねるとざーさん侍らしてたのは監督の趣味だと思います。

 

編集長について

最後に感情に任せて行動してしまった哀れな人。

逮捕された後にどうやって会社を大きくしたのかな。

でもカップルに比べてまだ感情移入できるような設定あるだけましか。

 

本田翼について

そーつぉーどうり以外は別にそこまで気にならなかった。

むしろ全体的に陽菜ちゃんの方が下手だと思いました。

就活で苦労するようなタイプではないと思うんだけど…。

新海は就活生が好きなら次は就活をテーマに作品作ったらいいと思います。*2

 

警察(リアリティ)について

頼むから警察組織というものを無能に描くのはやめてほしい。

丸腰の高校生を署内から取り逃がすってそんなことある?

頭脳戦で主人公より頭いいキャラを描けないから周りをバカにする手法と変わらんぞ。

最初に書いたけど明らかにリアリティを意識して描写しているのに

肝心な所でリアリティを無くすのは卑怯だと思います。

やたらと必要な情報を省いていたりするし

絵と楽曲でその場の状況をごまかすシーンもよくあるし。

水に沈んだ東京で暮らすとか物流やら建物の耐久性やらどうなってんだよ。

ヴェネチアじゃねーんだぞ。

急激にファンタジーに寄せてくるのはやめろ。

 

まとめ

・この映画はラブコメやファンタジーではなくシュールギャグだった

無知で無謀な少年が家出したら東京で貧困女に惚れて相思相愛になりました

っていうお話でした。*3

場面における状況描写と登場人物の感情描写が合わなさ過ぎて

泣いていいのか笑えばいいのか分からないし

どういう楽しみ方をしていいのか終始わからなかった。

愛にできることはあってもお前は何もするな。

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(途中から集中力が切れて適当になってしまいすいません)

*1:高収入求人のトラックだったりヒロインが風俗に手を出そうとしたり

*2:僕は観ません

*3:類は友を呼ぶ