田んblog

脳とブログが直結している

右か左か

昔から気が強いわけでもなければ明るい性格でもなかったので

日和見主義なわけですが就職してからはそれが一段と強くなってきました。

会社の人間ていうのはほぼ全員自分より歳も高ければ勤続年数も長いので

下っ端の自分に発言権はあるようで無い。

たまーに意見を言ってみるが、喋り方の差はあれど

「いや実はそれはこういう理由でね~~」ということで否定をされる。

本当に自分が知らないこともあるけどみんな自分の言うこと否定されたくないんだなって。

(こんな記事書いてる時点で自分がそうなんだけど)

自己の乖離が怖くて最近は無言で行動をすることも多くなってきて

場合によっては危ないやつと見られてもおかしくないこともあると思う。

議論なのか雑談なのか愚痴なのか暴言なのか。

会社において短時間でその見極めをするのは自己中な自分には難しい。

覆水盆に返らず

新年あけましておめでとうございます。

まだ記事は二つ目ですがとりあえず今年は最低月1でも記事を書きたいです。

 

皆様は新年が明けたらよく思い浮かべるものって何かありますか?

僕は受験ですね。年明けなくてもふとした時にこういう時期だなと思い浮かべますが。

進学して高学歴になっていいとこに就職してと

普通に家族生活していたら普通に言われそうなことを言われて育ちました。

就職だけうまくいきませんでしたが受験はうまくいってました。

 

閑話休題

新年になると父方と母方の親戚とそれぞれ顔合わせがあるんですよ。

いとこの二人が大学受験と高校受験でおばちゃんがいろいろ嘆いてました。

去年から集まるたびにちょくちょく話は聞いてましたが

順調(?)に志望校を落としていったみたいです。

正直そんなに勉強が好きでも得意でもなさそうな二人だったので

さもありなんといった感じですが高校受験のDCは完全に人生舐めてるな~って感じでした。

見てると昔の俺って多分こんな感じだったな~~~~~と死にたくなりました。

 

でも男子中学生とか高校生ってそんなもんだよなーと。

世界は自分を中心に回っていると思う年ごろですよ。そら中二病にもなりますよ。

自分がそうだったから学校でもない親戚の集まりなんてだるいですし

時間もかかる将来のことなんて知ったこっちゃないですよ。

その成れの果てが俺なので反面教師として色々諭したいと思う反面

俺なんかに諭されても何も変わらんだろうなあとも思い

まあ頑張れと適当に声をかけて解散になりました。

親は気が気じゃないだろうなあ… おばさん頑張れ。

他人に言われて改められるやつはできるし

できない奴はできない、それだけだと思います。

家族との信頼関係なんて、つい最近まで親を嫌っていた自分にはわかりません。

第一、スマホとかいう脳みそやグループやら破壊する兵器が蔓延っている現代で

受験とか俺の時と難易度が別の意味で高すぎると思います。

いとこ二人がどうなるかはわかりませんが少しでも良い方向に転ぶことを願っています。

渡る世間は「」ばかり

地球ができて38億年 人間の歴史は数千年。

石器時代やらローマやら五胡十六国時代やらまあいろんな時代があって

現代という時代に生きている我々ですが。

ミクロ(1個人)な歴史を辿ることは不可能なのである程度のマクロ(集団単位)でしか

歴史を辿ることはできないです。

過去に生きていた人たちはもしかしたらとても幸福で満ちた生活を

送っていた可能性もあるのかもしれませんが

十字軍だ戦争だという物理的な戦いもあれば

陶片追放やジズヤのように精神的(システム的?)戦いもある。

現代日本であれば学校生活を送るうえで当事者かどうかは別として

いじめという光景からは逃れられないわけで。

人間として生きていく上で争いやストレスといったものから逃れることは

不可能なんですね、きっと。

 

争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」とは

とある神様*1のお言葉です。

極端なことを言うと周りの人間と関係を完全に絶てば争うこともなくなるわけですね。

そんなことはまあ不可能というか非合理的なわけですが

会社員として働くというのは割と多くの人が絶ちたいレベルの考えかなと思います。