田んblog

脳とブログが直結している

サボり癖

明日は明日の風が吹く

 

前回ブログを書いてから丸々二か月も経ってしまいました。

昔からどうにも継続して何かをやり遂げるのが苦手です。

日記的なものは特に長続きしないですね。

始めてちょっと続けはするんですけど

どこかで突然スイッチが切れたように

パチンとやらなくなってしまう。

習慣化できてないといえばそれまでなんですが

結局は意識しないとやれないってことはその程度の意識なんでしょう。

危機感というか価値観というか。

今年も残り半分。

良いか悪いかわからないけど

続けることができるように。

平成から 令和へ

拝啓 令和の私へ
平成の私より

って書こうと思ってたら元号が変わってしまいました。
平成はどんな時代でしたか?
平成生まれの自分には初めての改元になります。
どうしてもという訳ではなかったのですが
実家で時を迎えようと思って実家で改元を迎えました。
親や受験や就職や色々ありました。
私にとって平成は実家、故郷である
ということだと考えました。
実態の無いものにあれこれ意味を持たせたがるのは悪い癖ですが
少しでも心の中で区切りを付けて起きたかったのです。

次の改元はまた実家で迎えるのか
別のどこかで迎えるのか
そんなことを考えている私は
きっと鬼や神様に大爆笑されていることでしょう。

脳から口へ 口から脳へ

目は口ほどに物を言うが

耳に届いているわけではない

 

コミュニケーションは大事です。

どんなに仲が良くても 逆に悪くても

色んな思惑があって思いを口にすることをおろそかにしてはいけない。

かといって僕は自分の考えをうまく相手に伝えることは苦手です。

得意な人はいないといわれるかもしれませんが

やはり得手不得手というものは存在します。

昨今ではコミュ障とか言われるように。

発しただけで罪に問われるような表現もありますが

口、音声という外部出力装置は

同じ文章でも文字を使うよりも多くの情報を相手に伝えられます。

伝えるために使っていかなくてはならない。

 

五感で感じたことを脳でまとめて、処理し

声で外部に伝える。

鳥でもサルでも人間でもそれは変わらない。

www.tannbo7.work

区切りを付けるということ

春は 出会いと別れの季節

ゲームが好きでポケモンドラクエなどいわゆるRPGをよくやっていました。
仲間を増やして レベルを上げて 敵を倒す
最終的にはラスボスを倒してエンディングを迎えるのが普通の遊び方です。
ですが自分は
「ラスボスを倒してエンディングを迎える」
ということに抵抗感がありました。
plan-ltd.co.jp

もちろんポケモンドラクエもラスボスを倒してエンディングをこの目で確かめました。
ですがそれはRPGだろうとアクションだろうとパズルゲームであっても
等しく自分のなかに存在し、実際にエンディングを見ないまま放置したゲームもあります。

原因は今この瞬間に固執する性格だから、という結論にいたりました。
ゲームをやっている今、勉強をやっている今、アニメを見ている今、自堕落している今
僕の心はとても刹那的で、過去と未来よりも
「今」この瞬間の状態を維持しようとしてしまうのです。
区切りをつけられないから惰性で夜更かしをし、翌日に疲労が残ったり
それこそ、未だに高校や大学を卒業したのか?という疑問が残っていたりします。*1
暑い寒いは感じていても季節感なんてものはここ数年感じたことはありません。

現実では「第三部、完!」というようなモノローグは誰もつけてはくれません。
区切りをつける。終わらせる。けじめをつける。
自分でしっかり意思を持って作業を終わらせ、次へ向かう。
日々の生活から改善していきたいです。

*1:大学なんて卒業式に出席することなく証書だけもらって5分で帰った

瞳を閉じて

閉じるのは瞳じゃなく瞼では

 

寝るのが好きです。

好きだから寝るのか

寝るから好きなのかはわかりません。

寝るのが好きではあるんですが

眠りが浅いのかほぼほぼ起きるときに夢の内容を覚えている。

体調悪いとマジで夢の内容が現実のことだと思って起きても尾を引くことがある。

酷いときは昼を過ぎても錯覚しているくらい。

やっぱり寝るのはあまり好きではないかもしれない。

 

活動も睡眠もほどほどに。